◉2012年:37歳
父方の祖母が亡くなり、御多分に洩れず、父の家でも相続問題が勃発。叔母(父の妹)一家の親戚と絶縁状態に。
まだ瑞江のアパート住まい。赤坂のベンチャーで働いていた時に知り合った女性と付き合っていた。
毎晩電話で彼女の職場の上司の愚痴を2時間以上聞かされたので、こりゃたまらんと思って一年足らずで別れたが、愛媛県松山市の出身だった彼女は、母方のお爺さんが出雲大社の宮司だったとかで、ちょっと不思議なところがあった。
まず、彼女のアパートの向かいにあったのが、九鬼神社。僕の母方の先祖に九鬼の末裔がいたので、その神社の名を見た時には、言葉を失うほどビックリした。まあ、九鬼の何たるかも知らなかった頃だけど。
あと、渋谷でデートしていて、昼時だったのでランチしよう、とたまたま入ったケバブのお店に、代々木のモスクが見学できると書いてあったので、行くことに。もちろん、イスラム教なんぞ、全く興味なかったが、スカーフをさっと被りモスクの礼拝堂の厳かな空間に身を馴染ませる彼女の姿に少し驚きもした。
あと、年末に彼女の企画で長野県に旅行に行った。泊まったリゾートホテルのシェフは、長野オリンピックの迎賓館の料理長を務めた人だった。当然のことながら料理が美味いのだが、中でも、地元で採れる新鮮野菜のサラダは格別に美味かった。
そのシェフに地元の知る人ぞ知る隠れた名店を教えてもらった。ボルシチの美味しい店と紹介された所が中でも印象的で、美味しかったのもあるが、僕らが提供されたボルシチが最後で、この先ボルシチは作らないとのことだった。
戸隠神社の中宮に行った時も、不思議なことが起きた。境内に入ってお参りをし、さて次へ行こうと思っていたら、彼女が一本の木を眺めている。次行くよ、と声をかけても、うん、と返事をしたきり動かない。
なんだろうと思っていたら、神楽殿からアナウンスの声がして、これから、戸隠神社の伝統香楽を披露しますので、見ていってください、とのこと。結局、舞台袖に上り、雪荒ぶ中、香楽を最後まで観た。
年越しそばは、ネットがない時代だったら、他所者は絶対辿り着けないよな、という場所にあった蕎麦屋。偏屈なオヤジがやってるらしく、人前に決して顔を出さないらしい。趣味はプラモデルで、離れにプラモデル部屋があり、第二次大戦の何月何日のどこどこの戦いの時の戦艦のジオラマという超マニアックな人だったらしい。
お店はというと唯一の囲炉裏のある部屋にたまたま通され、美味しい天ぷら蕎麦を食べた。
大晦日の夜中に訪れた戸隠神社の奥社もまた、参道の両脇に蝋燭が並べられ、幻想的だった。
とまあ、不思議な面白体験もしたのだが、永遠と思えるほどの、長時間愚痴を毎晩聞かされ、電話に出るのも嫌になり、分かれてもらった。
◉2013年:38歳 西
いろいろと揉めた父の実家の相続問題。一応の決着が付き、僕の所にも多少の相続財産が入り、溜まっていた借金を完済。
ついでに、瑞江は三角州地帯で、津波が来たら一貫の終わりだと思い、市川市の本八幡に引越し。まとまったお金が入り、気が大きくなったのか、たまたま目にして一目惚れした家賃14万円の分不相応なマンションを借りる。
この年、某国会議員の秘書さんに誘われて行った飲み会で、某通信社の政治部の女性記者と知り合い、お付き合いすることに(年の差10歳)。とても相性の良い人で、楽しい交際だった。
この年、サバゲーにハマった。もともとミリオタみたいな所があって、仲の良かった丸谷さんもミリオタ(というか、彼はプロだけど)だったので、一緒に、航空自衛隊の百里基地へ戦闘機を見に行ったり、朝霞駐屯地の観閲式、富士の総合火力演習(総火演)にも行った。
その流れだったと思うが、イスラエルの護身術、クラヴマガの道場に半年ほど通っている。
剣術やりながら、護身術やって、サバゲーやってたんだから、なかなかの戦闘バカだよね(笑)
この年、ボスが総代を務めた高野山の坊さんが、朝鮮総連本部の土地建物の購入に名乗りをあげ、周辺が騒がしくなる。
でも、不思議な感じが当時してた。
訪朝されたこの坊さん(のスタッフ)が、隠しカメラで現地の様子を撮影したのを、彼の勉強会でも流してたけど、コーラやマックが売ってた様なことを言ってた。要は、アメリカ資本が入って来ていたということ。
そういえば、この年、Googleのシュミット会長が、訪朝してたなぁ。
▼グーグルのシュミット会長は何のために北朝鮮に行ったのか?https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2013/01/post-516.php
ちなみに、意外と知られていないのだが、朝鮮総連本部がある場所(東京都千代田区富士見町二丁目14-15)は、右翼の権化みたいな靖国神社から目と鼻の先の距離。何をか言わんや、だよね。
こちらは、わりと最近(2018年)の本↓↓↓
この年だったか、翌年だったか忘れたが、一人の中国人が事務所を訪ねてきた。
孔子第75代直系子孫という肩書きだった(そういう人って沢山いるんだけどね)。テレビ番組も時々出演している有名人だった。
聞けば、儒教は中国(山東省)で生まれ日本で育ったという考えの持ち主で、今の共産党統治下の中国では、儒教は廃れてしまったので、日本からもう一度盛り上げたいので、力を貸して欲しい、という話だった。
さすがに、トップ官僚達と付き合いのあるボスだから、安請け合いはしないだろうと思ったが、意外にも意気投合していた。
それもそのはず、戦前教育を受けている人である。アメリカは敵国だったわけだし、共産主義は嫌っても、儒教の教えは、エリート教育の根幹ともいうべきものだった。その影響は、聖徳太子憲法17条にも見てとれるし、教育勅語もそうだ。
そして、この先生の論語講座を私が通っていた財団でやることが決まり、僕の周りにも少しずつ在日中国人が増えていった。
ついでに書いておくと、この年だったか、前年だったか、翌年だったかに、ボスの薩摩エリートの会に初代内閣府宇宙戦略室長という人が入会した。ちなみに宇宙事業は文科省の管轄だが、この人は経産省の出身。
この頃は、イギリスのヴァージン・ギャラクティックが2011年にスペース・ポート アメリカを作ったり、イーロン・マスクのスペースXや、ジェフ・ベゾスのブルー・オリジンといった欧米の民間企業が宇宙事業で注目を集めていた。
『いよいよ、宇宙時代の到来かぁ』と、当時の僕は呑気に考えていた。
で、その時、ふと思った。鹿児島といえば、種子島に内之浦。日本における宇宙開発のメッカじゃないか。だったら、日本で第一号のスペース・ポートを造ったら、鹿児島の発展に大きくきよするのではないかと。
これは面白いことを思いついたぞ、と、その話を薩摩エリートの会の会員さんに吹聴して回ったが、どうもみんな、あまり反応が宜しくない。普段は天下国家だなんだと、どちらかというと血の気の多い感じの人達がだ。
もしかしたら、まだ時代が早すぎたのかな、そんなことを考えていたらある日、仲の良かった元電通の女性からこんなことを言われた。ちなみに彼女は、クリエイター志望で入るも、後に総務部に配属され、電通と政治への金の流れを目にして嫌気がさして辞めた人。
その彼女が、僕にこう言った。『私は電通時代に上司から、宇宙と神様ごとの発言をする時は注意しろ、と言われました』もちろん、この頃の僕には何のことやら皆目見当がつかなかった。
◉2014年:39歳 艮
毎年恒例の鹿児島の物産展会場にて、鹿児島のご当地ヒーローと記念撮影(笑) 薩摩剣士隼人のくせに自顕流は使わんのかい!と思っていたが、内容は結構面白かった。
久しぶりに動画観て気付いたけど、悪役が吉野の狐って(笑)意味深だなぁ。
前年に出会った孔子の子孫の先生が、うちの事務所のあった赤坂見附にレストラン兼サロンを出すことが決まり、事務所から近かったこともあり、昼時にランチがてら、足を運ぶ様になった。
何度か足を運んでいるうちに、先生の後援者の在日中国人を紹介される様になり、彼らのビジネスサークル(勉強会)に呼ばれたり、一緒に酒を飲む様になる。気付けば、体重は、人生MAXの84kgに..。
事務所の資金繰りが悪化し、事務所からの給料が貰えなくなる。
事務所の家賃の滞納が続いた為、什器をお金のかからない保管場所へ運び込み、オフィスを港区赤坂から千葉県柏市に移転・機能を縮小する。
事務所に昔から出入りしていた不動産屋さんに毎週末金〜日曜日に行って、仕事を手伝う様になる。
不動産屋さんの事務所は、千葉県柏市。ここから一緒に車で移動。場所は、父方、母方、両方の先祖の出身地の栃木だった。
当時は、脱原発、再生可能エネルギーブームで、栃木県でメガソーラー開発をしていたので、その手伝い。金曜日は、一緒に地元の関係者(地元選出の県議の事務所など)を回る。
平日は、不動産屋さんの依頼で、経産省や資源エネルギー庁に行って、開発許認可や補助金に関する相談。
土曜日と日曜日は、不動産屋さんの経営するゴルフ場を、ゴルフしながらコースの草刈り(笑)
このゴルフ場、近年のゴルフ人気の停滞で、経営が悪化していた。狂乱のバブル期ならまだしも、バブル崩壊後、右肩下がりの経済が続いている中、都心から栃木くんだりまで来るゴルファーもいない。
そこで、18ホールのうち、半分のコースを潰して、何か出来ないかという話になり、いくつかのアイディアが出た中に、漢方の原料となる植物を育ててはどうだろうという話が出た。
そこで、不動産屋の社長の命を受けて、ボスの官僚の会の会員で、当時の厚生労働省医政局長に、漢方を専門に扱う厚労省の天下り組織のトップを紹介してもらうことに。
電話で、内容を伝えていたので、直接その漢方の組織を訪問しても良かったのだが、その医政局長さんから、久しぶりにお会いしたいので来てくださいと言われたので、会いに行った。
忙しい方が珍しいことを言うもんだな、とは思いつつ、会いたいと言われたので気を良くして彼を訪ねた。
すると、挨拶もそこそこに、彼がこう言った。
『僕は、薬の類は、医者が処方する薬はおろか、ドラッグストアで売っている頭痛薬も一切使わないんですよ』
そう話すのは、日本の医療行政を司る局のトップである。
単に人を紹介して貰えばいいや、と思っていたので、予期せぬ彼の言葉に返す言葉もなく黙っていると、
『ところで、日本の新薬の認定基準ってご存知ですか?』
『いえ、知りません』
『では、プラシーボ効果はご存知ですか?』
『はい、分かります』
『プラシーボ効果というのは、例えば、砂糖の錠剤を、99%癌が完治する特効薬ですよ、と伝えて飲ませると、本当に治ってしまうという現象ですね』
『はい』
『この、プラシーボ効果が統計的に確実に出るとされているのが、3割なんですよ』
『で、日本の新薬の認可基準というのは、このプラシーボ効果の3割を1割、つまり服用した人の4割に改善が見られたら、新薬として認めるというものなんです』
『はあ。』
『でも良く考えてください。6割の人は治らないんですよ。おまけに服用した8割の人には何らかの副作用が出て、中にはその副作用で苦しんでる人も大勢いるんです』
『だから僕は、漢方も含めて薬は飲まないんです。ましてや、身体の中に毒を入れて免疫力をつけるワクチン?言語道断です』
『人間の身体には、免疫力、自然治癒能力があります。だから、そういう機能が発揮される様な生活習慣を僕は心がけています』
思いもしない医療行政トップの言葉に、完全に言葉を失っていたが、当時は、内容の重大さより、漢方組織のトップを紹介して貰えないのかな、と、つまらないことを気にしながら聞いていた。
結局、紹介はしてくれたのだが、帰り際、彼が最後にこう言った。
『でも、こういう話をする時には、僕は非常に気を使うんです。製薬業界は怖いですからね』
以来、僕は、医者に通うことをしなくなり、薬を飲むことも殆どしなくなった。自身の危険を顧みず、貴重な助言をしてくれた彼には、とても感謝している。
何度か足を運んでいるうちに、先生の後援者の在日中国人を紹介される様になり、彼らのビジネスサークル(勉強会)に呼ばれたり、一緒に酒を飲む様になる。
週に最低3日は昼飯に中華を食べ、夜は華僑の人達が経営する中華居酒屋で飲み食いするという不健康生活を続けた結果、体重が人生でMAXの84kgとなった。
大晦日に家に泊まりに来ていた当時付き合っていた彼女に、寝てる時、呼吸止まってたよ、と言われ、このまま行くと早死にすると思い、減量すると決意する。
◉2015年:40歳
とりあえずの目標体重は、84kgから14kg減の70kg。
その時、ネットか本かで目にしたフルーツダイエットなるものをやってみることに。三日間は、フルーツとナッツ類、水のみ。
四日目以降は、朝食はなしかフルーツのみ。昼から夜は何を食べても良いが、消化負担の大きい、タンパク質と炭水化物は一緒に摂らず、野菜とタンパク質、もしくは、野菜と炭水化物。
この頃は確か、炭水化物(抜き)ダイエットが流行っていた頃だったので、肉と野菜の料理が主食。
結果、3ヶ月かからずに目標の70kgを達成。だいたい68kg前後の体重で落ち着いた。この頃はもう、オフィスにもあまり出かけていなかったので、ダイエットし易い環境だった。
しかし、生活費の捻出に苦慮する様になる。
手伝っていた不動産屋のバイトも、メガソーラーの開発が思うように進まず、不動産屋からの報酬も途絶えた。
知り合った華僑から、飲食店の共同経営の組合に入らないかと誘われたが、タイミングが合わず。
ある日、YouTubeを見ていたら、『YouTuberになって稼ぐ』という情報商材のコマーシャルが流れ、興味が湧いたので購入するも、顔出しに抵抗があり、中途半端で終わる。
貧すれば鈍するで、その後も、よく分からないものに手を出し、散財する。日に日に預金が減り、藁にも縋りたい気分で過ごしていた。
どうも商売で成功するというツールは、生まれ持って来なかったようだ。
◉2016年:41歳 坎
市川のマンション暮らしを維持し続けることが、これ以上無理と判断し、方位を取って、家賃の安い千葉市のアパートへと転居。付き合っていた女性とも破局。
1ヶ月ほど、塞ぎ込みがちになり、ほとんどアパートの部屋の中で過ごす。
しかし、いつまでも引きこもっているわけにもいかないので、1ヶ月ほどで立ち直り?仕事を探し始める。昔の人脈を頼って就職することも可能だったと思うが、ボスのところで色々と見た後で、今さらサラリーマン人生を淡々と歩み続けるなど無理だと判断し、とりあえず生活費を稼ぐ為に、近くのアルバイトを探す。
期間限定で、わりと時給の高かった食用油の工場で一月半働く。その後も工場に残って働くことを勧められるが、時給が大幅に下がったので、別のバイトを探す。
千葉県内に本社のある会社を探したところ、棚卸し専門の会社があったので、アルバイトとして働き始める。
仕事の現場は、イオンやドラッグストアなどで、営業時間外に棚卸しするので、ほぼ夜勤。限られた時間内に終わらせ無ければならない為、殺伐とした職場だった。
棚卸しシーズンが過ぎてから、入れる現場が一気に減った。その頃、Amazonでバイトがあることを知る。
Amazonはよく使っていたし、世界的大企業なので、面白そうだと思い、夜勤のアルバイトで入る。Amazon直の雇用ではなく、倉庫の運営を委託されていた日通の子会社に所属する。
Amazonという会社についてもっとよく知ろうと思い、Amazon関連の本を10冊ほど購入。そのうちの一冊に、Jeff@amazon.comというメールアドレスを見つける。
これはもしや、創業者のジェフ・ベゾス個人のメールアドレスでは?と思い、メールを送ることを思いつく。
とはいえ、Amazonは大会社。Amazonの社員ですらなかったので、Amazonで働いていることは伏せ、Amazonのユーザーということで、メールを送ることに。
何故、そうしたかと言うと、Amazonの倉庫に、Earth’s most customer-centric company という標語(お客さまは神さま的な)みたいなものが掲げてあったので、ユーザーからのメールなら無視しないだろうと思ったので(笑)
英語で、だいたいこんな感じのメールを送った。
タイトル:suprise me
本文:ジェフさんへ
私はAmazonの提供するサービスに非常に満足しいるAmazonファンです。素晴らしいサービスを提供してくれてありがとうございます。
さて、今日は、一つ提案があり、メールしました。
Amazonの提供するECサイトには、非常に満足しているのですが、一つ残念なのは、私の専用ページが、私個人の消費傾向に基づいてカスタマイズされ過ぎて、Amazonの扱う多種多様な商品を知る機会が得られません。
つまり、リアル店舗の様な「こんな商品もあるんだ」という出会いが無いのです。
そこで、suprise meという機能を提案したいと思います。suprise meと表記されたボタンをクリックすると、私がおよそ検索しないだろう商品が表示される機能です。これにより、さらにAmazonの膨大な商品へのアクセスが可能になると思います。
これからもAmazonのサービスに期待しております。
だいたいこんな感じの文を送った。さすがに、世界一のECサイトの創業者本人から返信はなかったが、エグゼクティブ・カスタマーリレーションズという部署から、メールの返信が届き、とても面白いアイディアなので、早速開発部に転送しました、との連絡があった。
これに気を良くして、続けて2通ほど提案メール(内容は忘れた)を送ったが、Amazonとのビジネスの提案なら、専門部署に送ってくれという返事が返って来たので、この遊びはここで終わり(笑)
Amazonでは、ピッキングという軽作業をした。注文の入った商品を、端末の指示に従い、置いてある棚までカートで回収に行き、カートに載せたコンテナがいっぱいになったら、ベルトコンベアに流すという作業だった。
徹底的な合理主義、効率主義の会社で、端末には、次の商品を取りに行くまでの時間が表示され、その時間内にどれだけの商品を回収出来たかのパーセンテージが出され、毎日ランキングが張り出される。
そのパーセンテージがAmazonの求める基準より低いと赤いタスキをかけさせられ、改善されないとクビになるシステム。
僕は、管理者からあれこれ言われるのが嫌だったので、常に上位10%以内に入る様にした。
Amazonは、倉庫運営を効率化する為に、常にシステムを改良していたし、最新のロボットも導入していた。
僕が働いていた倉庫は、Amazon倉庫の中でも一番古いものだったが、神奈川県内にある某倉庫は、ロボット棚が導入されていた。これは、人が商品の格納された棚まで取りに行く代わりに、商品の入ったロボット棚が自ら梱包担当者の所にやって来るというもの。
なぜ、全ての倉庫にこのロボットを導入しないのだろうと思って、ある管理者に聞いてみたところ、アメリカは労働者がいい加減なのでロボットを導入した方が効率が良いが、日本人は真面目で優秀なので、ロボットのシステムを導入する設備投資をするより、人を安く雇った方が投資効率が良いという話だった。
当時の僕はまだ波動エネルギーの世界をよく分かっておらず、人工知能や量子コンピューターがもたらす、人類の脅威を真剣に考えていた頃だったので、まだまだロボットより人がやった方が正確なんだな、くらいにしか思わなかった。
所属が日通だったのたが、Amazonについてもっと知るには直の雇用の方がいいと思い、バイトの面接を受けた。
倉庫での作業は、そこそこ真面目にやってたし、成績も悪くなかったので、まあ受かるだろうとたかを括っていたのだが、結果は不採用だった。
Amazon直の仕事には、2つあって、1つは、商品の入荷から出荷に関わる商品管理の仕事、もう一つは、倉庫のメンテナンスの仕事で、僕が入りたかったのは、商品管理の方。
夜勤の仕事をしていて、採用試験と面接が昼間だったので眠かったのもあるが、採用シートに誤って、メンテナンス部でもOKにチェックを入れてしまい、面接官にメンテナンス部の人が来た為、話が噛み合わなかった。まあ、今にして思えば、採用されなくて良かったんだけどね(笑)
◉2017年:42歳
Amazon倉庫の仕事はすぐに慣れ、単純作業だったので、すぐに飽きた。ピックカートと呼ばれるショッピングカートを押して商品を回収する作業だけではつまらなかったので、他の作業も積極的にこなした。
そして、ハンドフォークを使ってた作業を任されたのだが、そこで色々と人間関係で揉め事が起こり、嫌気がさしたので、日勤に変えてくれと申し出たが、現場管理者にことごとく無視され、ストレスが溜まる様になる。
また、前年の10月から働き始め、秋冬春はまだ良かったのだが、夏が近づくにつれ、夜勤明けの帰宅時に朝日を浴び過ぎたせいか、昼間に熟睡できなくなり、体力的にもキツくなる。
この年、かねてからの目標であった、世界の中枢に向けた準備を始める。
まず目的地を決めようと考えた。世界で一番力を持っているのは誰だろう。恐らく、世界経済を牛耳ってる奴らだろう。
よく聞くのは、ユダヤ金融。陰謀論みたいな話だが、他に思いつかなかったので、そこにターゲットを絞る。
ユダヤ人の銀行家は、どこにいるのか。ニューヨークのウォール・ストリートか、はたまた、ロンドンの金融街、シティか。はたまた、ユダヤ人国家、イスラエルか。
もちろん、こちとら、いまや時給1,000円の単純労働に従事する社会の底辺にいる人間だ。金融の深い知識や経験があるでなし、ユダヤ人の何たるかも知らない。旧約聖書だって読んだこともない。いきなり、世界経済の中心地へ行ったとして(行けたとして)オフィスを訪れたところで相手には、されないだろう。
では、どうするか。宗教から入るか。旧約聖書をバイブルとしたユダヤ教はどうか。分からない。分からないが、どの宗教も普及を目的としてるから、学ぶ意思を見せれば無碍に断られることはないかもしれない。
都内でユダヤ教の教会の様なものはあるか。広尾にシナゴーグがある。行ってみることにした。
すごい威圧感のある建物だ。一見さんお断りの雰囲気が前面に出てる。戦車の砲弾が当たってもびくともしなさそうだ。いきなり呼び鈴を押して訪問する勇気はなかった。
家に帰り、ネットで教団のホームページを閲覧する。お布施の一種か、年会費10万円とある。高い。そこまで無理したくはない。
他にないだろうか。イスラエルで調べてみる。日本イスラエル親善協会という団体があった。年会費3000円(当時)。これなら払える。早速入会。
年に何回かイベントがあった。なんと、広尾のシナゴーグが会員に開放される、イスラエルのイベントもあった。こうして、あっさりのシナゴーグへの潜入に成功。
シナゴーグで行われたイベントでは、イスラエル料理が振る舞われたが、美味しかったので、イスラエルという国に対して、少しだけ好感が持てた。
世界の中枢を目指すなんて、無謀な目標を掲げたから、ユダヤ人(というかイスラエル)の理解者みたいな面してたけど、もともとユダヤ人ってのが、どちらかというと好きでなかった。
最初に接点を持ったユダヤ人は、大学の英語の授業の教授。
ユダヤ系アメリカ人で、しつこいくらい(一年の半分くらい?)に、授業でホロコーストを取り上げていたし、授業の一環として、わざわざワシントンD.C.のホロコースト・ミュージアムまで連れて行かれた。
当然の如く、ドイツとドイツ人が大嫌い。やたらと目の敵にしていて、ドイツ語のあの響きが汚くて嫌い、とか、聞いてて、ほっとけよ、って思ってた。
日本人の僕に対して、どう思ってたか知らないけど、先の大戦で、日本はドイツと同盟を組んでたから、心良く思ってなかったかもしれない。
確かに、戦争によって悲劇的な最期を遂げられた方には気の毒だとは思うけど、憎しみの連鎖を断ち切らなければ、当のユダヤ人だって、この先いつまた恨まれか分からないだろうに。
世界一頭のいい民族とか言われていても、好戦的な、或いは、選民思想的な民族性故に、日本人とは合わないだろうな、と思っていた。
先述の英語の授業でも、面白くもないホロコーストの本を読まされて感想文を書かされたので、いじめってのは民族間だけでなく、同じ民族の中でも階級の差などで起こる。だから、ユダヤ人だけが特別悲劇の民族とは思わない。それに、ユダヤ人国家イスラエルだって、お隣のパレスチナを虐めてるじゃないか。大事なのはお互いを尊重する気持ちだとか、書いたしね(笑)
そんなことを言ってた奴が、今さらイスラエル、或いは、ユダヤ民族の良き理解者たろうとしたことが、今になってはお笑い種なのだが、当時も、イスラエルやユダヤ民族について知ろうとはしたけど、のめり込むまではしなかったね。
イスラエル親善協会とか、イスラエル大使館主催のイベント(イスラエルジャズメンやイスラエル人アーティストのライブ)を観に行ったりもした。
エンタメ系と食事は楽しめたな。
しかし、どうも旧約聖書に出てくる傲慢な神のイメージが気に入らなくて、途中で諦めた。
冷静に考えると、自分達の保身や利益の為に、戦争起こしたりする人間に囲まれても楽しくは無いよな、という当たり前のことに辿り着き、世界の中枢へ行こう計画は終了。
ただ、目標もなく漫然と日々を過ごすのが出来ない人間だったので、新たな目標を探す必要がある。
そして、この頃、ウィスキーでほろ酔い気分を楽しみながら、思考の遊びに耽る様になる。
いつからだったか忘れたが、YouTubeで苫米地英人という人を知った。とにかく、とんでもなく天才(笑)ここまで天才な人を知らないっていうくらいの天才。
苫米地英人さんは、世間ではオーム事件の後、信者の脱洗脳をしたことで有名になった人なんだけど、元々は、アメリカのイエールやカーネギーメロン大学で、人工知能を研究していたバリバリの科学者。
で、例によって、彼の本をAmazonで(中古本だけど)買いまくって、フォトリーディングで、片っ端から読みまくった。
とにかく、苫米地さんは、カバーする領域が広い。人工知能、数学、脳機能科学といった科学分野から、気功、宗教、歴史といった分野まで、とにかく一般に流布された情報とは一線を画す新鮮な内容で面白かった。
しかし、彼の本当に言いたいことは、何冊も読んでいくうちに、3つのことに集約される。
1.思考の抽象度を上げ、
2.エフィカシーを上げて
3.スコトーマ(心理的盲点)を外せ
つまり、世の中のいろんなことについて、俯瞰する目を持ち、自分にかかった洗脳を解きましょう、という話。
で、苫米地先生(の本)から多大な影響を受けていた僕は、自分の目標接点をする時にも、思考の抽象度を限界まで、グーンと上げたわけですよ。
つまり、大きな方向へ向ければ宇宙、ミクロな方向へ向ければ素粒子の世界。
そして、自分の歩んできた道を振り返る。
日本の中枢、途中で投げ出したが世界の中枢。しかし、エベレストの頂上(世界の中枢)に仮に上り詰めていたとしても、やっぱり、さらにその上を目指したのではないか。
(イメージの話です)エベレストの頂上から上を見上げれば、空。空の先には宇宙空間があって、一番近い所に、月、そして、火星。太陽系を出たら、銀河系、そして、いずれは宇宙の果てに辿り着くのだろうか。
(思考の遊びの続き)じゃあ、宇宙の果てには、どうやったら行ける?固定燃料か液体燃料かなんて言ってる、おもちゃみたいなロケットじゃ、宇宙の果てどころか太陽系さえ出られそうにないよね。
じゃあ、どうする?
目を瞑り、酔いに任せて瞑想する。
突然、アイディアが降りてくる。
1.永遠に死なない身体を手に入れる
2.宇宙の果てに瞬間移動する技術、或いは、能力を手に入れる。
しかし、風邪もろくに治さない現代医療じゃ、1.は無理
ポンコツロケットほどの科学技術では、2.も無理。
どうする。
と、その時、3つ目の考えが降りてきた。
3.宇宙の果てなど存在しないことを悟ることだ。
これは、宇宙の果ての行き方ではないので3つめのアイディアとは言えないし、当時の僕には意味が理解出来なかったけど、とにかく、宇宙の果てを目指すのが難しいことだけは、何となく理解した(笑)
そして、宇宙に関する本をまたAmazonで仕入れ、フォトリーディングというかダイレクトラーニングしながら、同時に、宇宙について語っているYouTube動画を見まくった。
そんな時期に、ある人から連絡が入る。
以前勤めていたボスの事務所に出入りしていた一条さんという人だ。
この人、僕が事務所に勤めていた時には、永田さんと名乗っていたのだが、苗字が一条さんに変わっていた。
そういえば、事務所に来た時に、「実は一条家と関係あるんですよ」と言っていたのを思い出した。
事務所で働いていた当時、一条家が何者かもよく分からなかったので、「何ですか、一条家って?」尋ねたところ、「藤原五摂家の一つです。ご存じないですか?」と、そう言えば、言ってたっけな。
で、この永田さん改め一条さんが何の用かと思ったら、仕事を手伝って欲しいとのことだった。
Amazonでの仕事も潮時かなと思っていたところだったので、有難い話だったのだが、この一条さんには、少し苦い経験があった。
僕がまだ赤坂の事務所で働いていた頃、ある鹿児島の良家の方の紹介ということで事務所を訪ねてきた。
当時彼は、圧縮した空気を動力源とした空気エンジンなるものを早稲田大学と共同で研究開発していた。
もともとは、野村総研のエンジニアとしてニューヨークで勤務した後、香港や東南アジアで投資会社を起こし、その後日本に帰国して、ある人の秘書をしていた。
そのある人というのが、かつて(JRになる前の)国鉄時代に、日本のリニアモーターカー開発を指揮した京谷好泰氏。この京谷先生、産業界が認める天才エンジニアだったのたが、国鉄と喧嘩して追い出され、以来ずっと冷や飯を食わされていたらしい。
それで、お金集めの上手い一条さんに白羽の矢が刺さり、秘書として仕えていたらしい。
で、その一条さんが、空気エンジンの開発をしている時に、度々事務所を訪れて来て、開発資金を捻出する為のアイディアを出したりしてたんだけど、順調に進んでいた空気エンジンの開発が、海外のパートナーとODA予算も決まった直後に、急に頓挫してしまう。
話によると、一緒に開発を進めていた早稲田の助教授に教授職に就くチャンスが巡ってきて、どうも教授になるには、他にやっていたことを全て手放さなくてはならず、空気エンジンの研究開発の為に立ち上げた会社もあっさり閉じてしまい、せっかく決まっていた研究資金の話も全て流れてしまったらしい。
で、いつもは、正装に近い黒のスーツで来社していた一条さん(眼鏡はド派手な赤縁メガネだったけどね)に、ある日、ホテル・ニューオータニの喫茶店に来てくれと呼び出されていくと、そこには、空気エンジンを一緒に開発していたという長野の町工場の社長がおり、遅れて一条氏が登場した。
空いた口が塞がらないとはこの事で、その時の出立ちたるや、頭は金髪、原色の赤と青と白の革ジャンに、破れたジーンズ、先の尖った皮のブーツ、手には全ての指に空豆ほどの大きさの宝石のついた指輪をはめ、どこのオカマだ?と思う様な出立ちだった。
そして、何やら工場の社長と言い争いを始め、最後はキレて帰っていくという。残された僕は、はじめましての社長と残され、ことの顛末もよく分からないまま、そして、何故に呼び出されたのかも分からないまま呆然としていた。
そんな別れ際を経験していたので、仕事を手伝ってくれと言われても、おいそれとは乗れない心境だった。
で、はじめはかかってきた電話も見慣れない番号だったので無視していたのだけれど、親友の丸谷さんから電話がかかってきて、一条さんから電話があって、連絡を取りたいってしつこいから、電話取ってくれる、と言われたので、話をすることに。
話しぶりは穏やかで、事務所に出入りしていた頃の紳士な態度だったので、少しホッとして話を聞いてみると、今は千葉市に住んでいると言う。
僕も市川から千葉市に移り住んでいたので、千葉駅のスタバで会うことに。
実際会ってみると、ニコニコして穏やかな表情だったので、仕事も上手くいってるんだろうなぁ、と思った。
で、肝心の話の中身を聞くと、『アラブの王族の息子から、100億円出すから超伝導で動く船を作って欲しいと言われたので、手伝って欲しい』という、いかにも胡散臭い話。
『そんなことを言われても、僕はボスの所はもう離れてしまってますし、造船の知識も業界のことも何も知りませんよ』と答えると、それでもいいから手伝って欲しいと言われる。
まあ、Amazonのバイトは退屈だったし、まだまだ野心もあったから、ダメもとで手伝うかと思ったが、さすがに無報酬では手伝えない。
『僕は今、生活の為にアルバイトをしているんですが、それを休まなければなりません。その分のお金は出して貰えますか?』と尋ねると、1ヶ月な収入はいくらだと聞かれたので、20万円くらいです、と答えると、じゃあそれはこちらで出します、と言われた。
お金を出して貰えると言われ、断る理由が無くなってしまったので、その翌日から手伝うことに。Amazonのバイトは、一応在籍だけはして、入れていたシフトは全てキャンセルした。
断れなかった理由、というより、この船に興味を持った理由が、報酬以外にもう一つあった。
それは、この超伝導という技術が、宇宙船に使われている技術だと、一条さんが説明し出したからだ。
『だから、いずれは宇宙戦艦ヤマトみたいな、空を浮かぶ船を作りたいと思ってる』
なるほど、世間で出回っているロケットとは、全く異なる技術で宇宙へ行けるとなると、これは、ひょっとするとひょっとするかもしれないぞ、と(笑)
ちなみに京谷先生のリニアモーターカーの技術ってのは、いわゆる磁石の反発のエネルギーで浮くわけではなく、渦状のエネルギー。そこが、日本と外国のリニアモーターカーの性能の差なんだとか。
さて、船の話だけど、超伝導で走る船というのは、実在した船で、一条さんが京谷先生を日本財団に連れて行き、50億の資金を得て作っている。
残念ながら、開発途中で財団トップが代替わりしたとかで、当初100億の約束だったものが50億に減額されてしまったらしく、計画していた速度は出せなかったなものの、超伝導の技術により、海の上を浮いて走る船は完成した。
その話を、一条さんが空気エンジン開発で早稲田に出入りしていた頃に、留学していたアラブの王族の息子がネットで見つけ、たまたま仲良くなった一条さんに、その船のことを尋ねたらしい。
『知ってるも何も、俺はその人の秘書をしていて、開発にも携わっていたんだよ』と答えると、そのアラブ人が興奮して、お金を出すから作ってくれと、そういう経緯だった。まあ、話の流れとしては、あり得ない話ではない。
と言っても、お金を出す方も本当に作れるのか確かめる必要がある。ということで、ミニチュアモデルでいいので、プロトタイプを作って、実際に走るところを見せて欲しい。それがお金の出る条件だった。
つまり、そのプロトタイプを作る為の資金作りから手伝うという話だった。
で、一条さんがその頃何をやっていたかと言うと、ある漢方薬の開発をしながら、その売り先を探していた。
漢方薬?と当然なるわけだが、これが実は、超伝導技術と関係してくる。
これは裏話だが、静岡から山梨にかけて実はリニアモーターカーの実験施設があって、その周辺の農家の作物に異変が現れた。
超伝導の電磁波の影響か、その影響を受けた地下水で育った野菜が巨大化したのだ。もう化け物野菜というレベルのデカさ。
あまりの大きさに、市場では買い手が見つからず、JR東海は口止め料として、農家に補助金を出しているらしい(一方、果物の方は粒が大きくなり糖度も増してブランドフルーツになったとか)。
で、その超伝導水で育てた漢方の王様と言われる霊芝(レイシ。別名サルノコシカケ)の成分に、抗がん作用のある成分が飛躍的に増えるというデータが出たらしい。
それを一条さんは、漢方大国であり、日本ほど薬事法がうるさくない韓国に輸出しようとしていた。これだけ聞いてると、簡単に売れそうなものなんだけど、この一条さんって人には、なんか起こるのね。
この特別な霊芝の販売チームが、初めはまとまっているかに見えたのだが、だんだんと内輪揉めを始め、気付くとチームはバラバラになっていた。そして、別のルートに当たってみるも進まず。
さて、ここからが大変だった。いろんな人が登場します(笑)
まず、そもそもの発端である京谷先生だが、一条さんとの接点というのが、ある共通の知人を介して。
その人は、京谷先生と一条さんのお父さんが師と仰ぐ人で、人呼んで”御前様“。
この人は、京都の寺の坊さんで、死と隣り合わせの荒行として知られる千日回峰行を前人未到の2回半?やられた方で、京都では今上天皇が来ても手を振るだけだが、御前様が山から降りて来られた時には、平伏してお迎えしたらしい(一条氏談)
で、京谷先生がリニアモーターカー開発から外され冷や飯を食わされていた時に、午前様の一声で、一条さんが、京谷先生の秘書となり資金集めをする様になったというわけ(この後、御前様は度々登場します)。
で、この一条さんのお父さんという人がとんでもない人で(これも一条さん談)、一条家は藤原五摂家の一角ですから、いわゆる皇族席みたいな特別席を使えるらしいんですね。
で、この一条さんのお父さん(故人)は、この皇族席に上場企業の役員なんかを集めて、ヤクザに賭場を仕切らせ、荒稼ぎをしていたとか(笑)その裏金総額100億円!(笑)
で、その裏金は、当然息子である一条さんが相続するはずだったんだけど、お父さんとお母さんは離婚していたらしいんですよ(お母さんの旧姓が永田さん)。
で、お父さんから俺の金はお前にやるよ、と言われていたものの、父子関係が良くなかったのか、『俺は京谷先生の秘書として表に出る仕事をしているんだから、そんな汚れた金は要らねえ』とか何とか言って断ったらしい。
まあ、一条さんの話なんで、本当かどうかは知りませんけどね(笑)
ただ、京谷先生の秘書をしていたという話は、話の内容からしてどうやら本当の様だし、僕の知り合いで、菅元総理の息子と結婚(後に離婚)された女性は苗字が永田さんで、永田さんのお婆さんは奈良の春日大社の巫女だったという話だから、僕の中では(一条さんは結構ハッタリをかます人ではあったが)、この辺の話は信憑性が高い。
ちなみに、知り合いの女性の永田さんは、菅さんの息子さんと離婚された理由として、こちらは藤原、あちらは、菅原(道真)の系譜。合うわけなかったんですよ、と言ってた。この時は何のことだか分からなかったが、後々分かる。
で、御前様の話に戻ると、一条さんは子どもの頃(から?)相当な悪戯坊主だったらしく、よく御前様に叱られて、罰としてお堂の中に入れられたりしてたらしい。その時から、どうも御前様(と呼んでいるにも関わらず)に対して、反骨精神の様なものがあったっぽい。
話は飛びますが、僕の報酬20万円はどこから出ていたかと言うと、お父さんの遺産(裏金)を御前様が預かることとなり、空気エンジンの開発が上手くいかなくなった一条さんが、御前様の所に相続財産を貰おうと訪ねて行くと、御前様から、『お前に金を渡してもろくな使い方はしない。毎月100万円だけ渡すから、その中でやりくりしろ』と言われて渡された100万円、の中の20万円、ということになります(笑)
でまあ、超伝導船のプロトタイプを作るのに資金がいる、資金作りの為のビジネスの為に動けばお金が出る、ということで、霊芝のビジネスが上手くいかなくなったことで、だんだんと苦しくなっていくわけです。
まあ、僕としては、暇だったし、お金さえ貰えてれば何も問題無いし、貰えなくても離れれば良かっただけなので、何の問題も無かったんですけどね。
ところが、ここから、話がまた急展開します(笑)
その頃、僕は毎朝千葉から帝国ホテルまで出て、ホテルの一階にあるカフェで一条さんと合流し、一緒に朝飯を食べることから一日がスタートしました。
ある朝、いつもの様に帝国ホテルのカフェで朝食をとりながら話をしていると、会わせたい人がいるという。
誰ですか?と尋ねると、『実は、俺が頼りにしている顧問が2人いてな。そのうちの1人だ』。
で、場所はどこだったか忘れたんですが、お会いしたんですよ、その方に。
屋内でも常にサングラスして、やたら背筋が伸びていて、レンジャー部隊上がり?と思う様な体格のその人は、通称、怪物先生。
これも書くと、アタオカと思われるだろうけど、皇居の御庭番の隊長なんだって(笑)本当かどうかもちろん知りませんけどね。
一つ確かなことは、帝国ホテルの地下にある慶応三田会という慶応義塾大学卒業生しか入れないサロンに入って行ったので、慶大卒か関係者であることは間違いなさそう。
で、これは、僕のいない所で、一条さんと怪物先生の間で交わされた話らしいんですが、怪物先生曰く、宮内庁の中に、日本の国庫の金をアメリカに横流ししている輩がいると。
その犯人を探しているのだが、見つけてくれたら、船の開発資金を出しますよ、という話。
僕はそんな話を聞かされても、何のことやらって感じだったけど、資金集めが上手くいってなかったし、一攫千金タイプの一条さんからしたら、ちまちまと金を稼ぐより、性に合っていたのかもしれない。とにかく、その犯人探しが始まった。
怪物先生から与えられた情報としては、銀座のとあるクラブが、その密談に使われたらしい。
で、一条さんから、そのお店の名前を聞かされるのだが、店名を聞いた途端、僕の体内を戦慄が走る。
その店は、僕のかつてのボス、薩摩のドンがよく利用していたクラブで、クラブのママのこともよく知っていた。
「えっ、何、何が起ころうとしてる⁈」という感じで、胸がバクバクし始めた。これは、相当ヤバい所に足を踏み入れようとしているのでは、あるまいか?
で、そこから聞き込みが始まった。まずは、一条さんの昔の飲み仲間から、周辺情報を。でも、大した情報が得られず、件のクラブに突撃することに。
確か、開店前だか開店直後の早い時間帯だったな。ママが出て来て、挨拶を交わした後、回りくどい話なしに、一条さんが担当直入に、国庫の件について尋ねた。当然答えはノーだ。
もちろん、「はい、よく存じ上げてます」なんて言うわけがない。反応というか、感触を確かめたかっただけかもしれない。或いは、その件をかぎ回ってることが広まって、相手が尻尾を出すのを期待していたのかもしれない。
その時は、自分の置かれているポジションを俯瞰して見ることが出来ず、しかし、何やら危ない橋を渡っていることだけは分かったので、細胞総動員で周囲に意識を向け、いつでも逃げられる様に心づもりだけはしていた。クラブのママから僕の元ボスに話がいくことは十分に考えられたしね。
しかし、よく考えるまでもなく、相手がどういう人間達かは、おおよそ想像がついたので、逃げようと思って逃げられるわけもない。段々とまな板の鯉の心境に変わっていく。
でまあ、僕はだいたい夕方になると千葉市の自宅に戻るのだけど、一条さんは、帝国ホテルだか、近くのどこだか知らないけど、泊まりながら、一人で情報収集をしていたらしい。
暫くして事件が起きた。一条さんが何者かに襲われたらしい。もちろん一条さんの話で、僕がそこにいたわけではないから現場は見ていない。
『国庫の件の関係者が襲ってきた。でも俺は子どもの頃から抜刀術やってるからな、蹴散らしてやったわ』
『はあ..。』
もう完全に漫画の世界である。
確か、黒炭?の棒を持ち歩いてるとか言ってたけど、パッと見、武術に長けた印象もないのだが、心の奥底から揺るぎない自信に満ち溢れている一条さんを見ると、どうも知らず知らずのうちに、本当のことに思えてしまう。
で、襲撃されたにも関わらず、聞き込み調査を続けた結果、一条さんが、また襲われることになる。
しかし、この時は数日音信不通になった。後日、一条さんから連絡があり、会って音信不通だったわけを聞くと、御前様の配下の人間に襲われて、京都に拉致された、という話だった。
(えっ、御前様って一条さんのお父さんとか、京谷先生の師匠筋の人で、一条さんも子どもの頃から面倒見てもらってる味方でしょ⁈ え、なんで?)という困惑した顔をしていると、
『いやな、御前様には、この件については首を突っ込むなって言われてたんだ。お前は船を造ることだけ考えてろってな』
(おいおい、まさか京都の街中が平伏す人まで敵に回す気か、この人?)
『最初に襲って来た連中は大したことなかったけど、さすがは御前様の部隊だな。さすがの俺も多勢に無勢で勝てなかった』
『でな、御前様が送ってきたのが、ある秘密結社な連中でな、なかなかの手練れなんだ』
(は、秘密結社?)
『なんですか、秘密結社って。八咫烏みたいなやつですか?』
『・・・、お前、八咫烏知ってるのか?』
(いや、八咫烏なんて、陰謀論に出てくる架空の組織でしょうが)
『いや、丸谷さんが、そういう話詳しかったんで、名前だけは聞いたことあります』
(えっ、八咫烏とか、この人、これマジで言ってるの?)
『そうかぁ、丸谷さんよく知ってるなぁ。実はな、御前様は、八咫烏の組織のボスなんだ』
(出たーーーーーー!)
もう、この頃には、何が本当で嘘か分からなくなっていた。
『いや、怪物先生いるだろ、あの人、どうも御前様と対立してるみたいなんだよ』
(おいおい、頼むから、火中の栗はあんた一人で拾ってくれよー)
『だから、御前様からさんざん釘刺されてるんだけどよ、もしかたら御前様が関わってるかも知れないしな。ニヤリ』
(いや、ニヤリじゃねーよ!)
なんだ、西の八咫烏集団と、東の御庭番チームの権力闘争⁇ 冗談じゃない。これ以上、ここにいるのはヤバい。
…でも、もうちょっと見てみたい気がしないでもなくもないではない。
しかし、一条さんもさすがに、御前様を敵に回すのはまずいと思ったのか、暫く聞き込み調査からは離れることにしたようだ。
で、また船のプロジェクトに戻ったのだが、100億の資金を使った巨大船の建造。しかも、超伝導という日本のお家芸の様な超ハイテクな技術を用いた船だ。もしかしたら、建造しても、武器転用の恐れありと、輸出許可が降りないかもしれない。
ということで、まず、政府を動かせる有力者がいる。顧問として怪物先生は入るらしいが、実務をやれる人もいる。
で、最初の候補として、千葉さんという人が出てきた。この人、警視庁と関係があるとかなんとか言ってたけど、ネットで調べると確かに元警視総監と付き合いはあるらしい。ただ、何かしらにおうところがあった。
そして、千葉さんに会う直前に、一条さんが僕に、俺は黙ってるから、お前から船のプロジェクトの説明をしてくれと言われた。
まあ、露払いというやつだ。しかし、組織を作るという話はさっき聞いたばかりですよ。説明しろと言われてもね..。
何故か、僕以外にも秘書役として、以前聞き込み調査で行った銀座の某クラブの女の子も同席していた。完全に詐欺師の手口だな..。
で、千葉さんとあって、どこから話していいものやら、モタモタとしていたら、一条さんが話始めた。しかし、僕が言うのもなんだが、全く要領を得ない説明だ。ここは、やはり私が、と自ら説明し始めた(ここで何やってんだ俺は?と思いつつ)。
まあ、客観的に見て、プレゼンテーションとしては、最悪の出来だった。あんな説明聞いて、はい参加しますなんて人はいないだろうな(そう思っていたが、数日後、千葉さんから何度も一条さんに会いたいという連絡が来た。もしかしたら警察のコネを使って一条さんのことを調べたのかもしれない)。
さて、千葉さんへのプレゼンテーションも失敗に終わった(と思っていた)僕らは、さて次どうするか、という話をしていた。
一条さんは、懲りずにまた怪物先生に依頼された件で聞き込み調査を始めていたらしい。それがまた、御前様の逆鱗に触れ、月100万円貰っていた小遣いも、10万円に減らされたらしい。
『えっ、じゃあ僕の報酬は?』
『だから、新しい稼ぎ口を見つけなきゃならん』
(ほんと、この人も他人事だよなあ)
超伝導水の霊芝もダメ、怪物先生の依頼の線も危険。さあどうするか。
その時、一条さんが、こんなことを口にした。『資本主義経済ってのは、悪魔が作ったものだから、悪魔の発想で考えなきゃダメだぞ』
…いや、意味分からんし。
『そうなんですか?』
『今な、俺の中には、8人の悪魔と2人の天使がいる』
(…何を言い出すんだ、このおっさんは)。
『それでバランスが取れてるんだ』
(まあ、何だか分からない話だけど、こっちとしては給料さえ払って貰えば文句ないですけどね)。
『一条さん、もし、2人の天使が出て行ったら、どうなるんですか?』
『さあ、どうなるんだろうな。俺にも分からない』
(まあ、悪魔とか天使とか、どうせこの人の妄想、戯言だろう)
『そうですか。このまま、お金が入らないと、僕も活動できませんし、一条さんも困るんだとしたら、一度その2人の天使に出て行ってもらって、全員悪魔にしたら、なんかアイディア湧くんじゃないですか?(笑)』
当然、悪魔だの天使だの信じてないから言えた冗談混じりの言葉である。
しかし、一条さんの顔は真剣だった。
『・・そうかもな。しかし、俺も初めてだから、どうなるか分からんから、責任は取れんぞ』
(えっ?この人今、責任って言った?責任って何?)
『じゃあ、行くぞ』
(えっ、ちょっと待って。行くってどこに?)
一条さん、真っ直ぐ立って、腕を下ろし少し外に広げ、空手の型の様な格好で、
『ふーーーー、うーーーーん、はっ!』
(へ?何?変身でもするの?へ?ちょっと待って!)
『よぉーし、これで、今俺の中には悪魔しかいない。ニヤリ』
(いや、ニヤリじゃねーよ。でも、見た目は何も変わらないか。特に変わった感じもないな。あー、びっくりした。本当この人は予測不能だわ)
その後、一条さん、しばらく無言で考え込む。いつもはひたする喋り続けている人が無言で考え事をし始めた。不気味な沈黙が流れる。
と、突然、一条さん、すくっと立ち上がり、
『いい金稼ぎの方法を思いついた!』
(えっ、まじ?やっぱあの変身ポーズは効果あったの?)
『ヤクザの事務所に取り立てに行くぞ』
(…..ちょっと、今、なんておっしゃいました?)
『いやな、今思い出したんだけどな、俺昔ヤクザに拉致られてボコボコにされてな。その時の落し前つけてなかったわ』
(ちょいちょいちょいと、お父さん、何を言ってるの?)
『昔、京谷先生の秘書してた頃、毎日銀座で豪遊してたろ。ベントレー転がして、毎日クラブ通いして。その頃によ、ある老舗のクラブに行ったらよ、そこのナンバーワンの女ってのがいて、一目惚れしてよ。
でも相手にされなかったんだよな。で、頭きて、そのクラブで一番パッとしない女に大金注ぎ込んでナンバーワンにしたんだよ。そしたら、元ナンバーワンがなびいてきてよ。で、程なくして男女の仲になったんだが、そいつがさ、クラブを辞めるって言い出したんだ。
で、俺はさ、お前の人生だからお前が決めれば?って言ったんだよ。
そしたらさ、その後店に行ったら、店のやつが、女の子が店辞めるって言ってるんだけど、止めて貰えませんか?って言うわけだ。
そんなことは、本人の問題で俺は知らねぇ、って言ったんだよな。そして、女の辞める決意は固かった。
そしたらよ、店のバックにいたヤクザが出てきてよ。なんとかしてもらえないかって、しつこく言うわけよ。
しかし、俺が辞めろと言ったわけじゃないかは、知らねぇ、で通したんだよな。
そしたら後日、銀座の街中歩いてたらよ、急にバンが止まって、白昼堂々と拉致られたわけよ。で、六本木のマンションみたいな所に連れてかれて、脅されたわけ。』
『で、流石に面倒なことになったなと思ったから、女を説得するって言って、解放されたわけだ。
しかし、女も強情な奴だから、辞めるって言うんだな。で、まあなる様になれと思って、放っておいたら、また拉致られてよ。
今度は新宿歌舞伎町の雑貨ビルよ。縄で簀巻きにされてよ、シャブまで打たれて、おまけにゴルフのアイアンで頭殴られて血だらけでよ。
で、意識朦朧としながら、もうダメかな、なんて考えてたらよ。目の前にいた初老のおっさんが、なんか疑わしそうな目で、ずっとこっちを見てるわけ。
んで、俺に聞いてくるわけよ、一条さんですか?って。
当時は母親の方の姓の永田を名乗ってたから、店の連中にも永田で通ってたんだけどな。
で、なんで一条の名前知ってんだ、と思って、意識朦朧としながら答えたわけよ。
そうだけど、あんた誰?って。
そしたら、そのおっさんの顔がみるみるうちに血の気が引いて、真っ青になってよ。
私、昔、一条さんのお父さんの運転手していた者です。っていうわけ。
で、そのおっさんヤバいと思ったんだろうな。すぐに縄解いてくれてよ。携帯も返してくれたんだ。
で、俺はまだふらふらしてたから、知り合いの北海道の武闘派ヤクザに電話してよ、事情説明して人寄越してくれって、電話かけたんよ。
その時には、俺を拉致したヤクザ連中、全員土下座で謝りながら、今、300万円しかないけど、とりあえずこの場は、これで勘弁してくれって言うわけ。
んで、しばらくして知り合いのヤクザが血相変えて来て、いきりたってたんだけどな、ほら、俺その頃、京谷先生の秘書で表の仕事してただろ。
これ以上、騒ぎを大きくされちゃかなわんと思って、その300万円を知り合いのヤクザに渡して、その場を収めたんだな』
(なんだ、解決してんのか。じゃあ良かったじゃん)
『で、今、思い出したんだが、俺を拉致してボコボコにした小林組の奴らとは話をつけたが、小林組を配下に置いてる住吉組の連中も、俺のことは知ってたはずだ。その上で、拉致の実行を指示したか、黙認したはずだから、住吉のトップにも責任がある。
だから、住吉のトップの福田のところに行く』
(…すいません、脳がこれ以上、考えるのを拒否してます)
『でよ、北海道の(ヤクザ)連中、連れて行こうと思うんだけど、どう思う?』
『いやいや、そんなことしたら、抗争事件になりますよ。ダメに決まってるでしょ』
『そうか、じゃあ、チャカだけ持って行くか』
『いやいや、そういう問題じゃないでしょ』
(えっ、マジかー、この人本当に悪魔に乗っ取られてたの?え、でも、冗談とはいえ天使追い出せって言ったの俺だよね。まさか、こんな展開になるとは..)
『それって、僕も行かなきゃいけないんですかね』
『秘書としてな』
(やっぱり…)
『分かりました。じゃあお供しましょう。ただし、話し合いに行くんですよね。ならば、ヤクザもチャカも無しです。丸腰で話し合いに行くならついて行きます』
(何言ってんだろ、俺)
『よし、じゃあ、いつどこに行けば、福田さんに会えるか調べよう』
というわけで、後日、福田さんの居所を突き止め、銀座にある某雑居ビルへ。
真昼間だし、まあ大丈夫だろうと思ったのだが、生まれてこの方、ヤクザ屋さんと関わりを持ったことなど一度もない。
で、ずんずんビルの敷地内を入っていく一条さんの後を、恐る恐るついて行く。
すると、ふと左側にある平屋建ての建物の看板が目につき、読むと小林組と書いてある。
『一条さん、小林組って書いてありますよ』
奥の雑居ビルのエレベーターホールを目指していた一条さんが振り返って戻って来る。
『おう、本当だな』
すかさず、呼び鈴を鳴らす一条さん。
「どちらさん?」と、インターホンからドスの効いた返事が聞こえる。
『一条ってもんだけど、福田さんに用があって来た』
しばらくすると入口のドアが開く。ずかずかと中に入る一条氏。どうするか迷って、結局中に入る僕。
先に入って中にあるソファに一条さんが座っている。その隣に、バックパックを膝の上に乗せ、ちょこんと座る僕。
目の前には、番頭さんらしき初老の男性と、いかにもヒットマンみたいな身長の高いスラリとした男性がこちらを向いて座っている。睨んではないが、肝っ玉が座ってる感じの雰囲気。
奥にがたいの良い若い衆が一人、机を向いて真っ直ぐ座っていたが、こちらに耳を傾けている。
「おたく誰ですか?どんなご用件で?」
一条さん、名刺を渡しながら、
『いや、6,7年前にね、おたくの組の者に手荒くやられてね。それで、お宅との話は済んだんだが、お宅に指示を出したであろう、住吉の福田さんとの話がついてなかったんでね。その件で、福田さんに会いに来た』
「私は、7年前にもここにいたがね、そんな話は記憶にないなあ」
『いや間違いない。おたくのもんに拉致されて六本木の事務所みたいな所に連れて行かれたんだ』
「その六本木の事務所ってのは、どんな所です」
『マンションの確か、7階か8階だったな』
「それはおかしい。うちのは平屋建てだ」
『じゃあ、確かめに行こう』
「いいでしょう」
一条さんと、話をしていた番頭さんが突然立ち上がる。僕も話が見えないまま、慌てて立ち上がり、2人の後を追う。
2人はそのまま銀座の大通りへ出て、タクシーを拾う。後部座席に乗り込む2人。これは、ヤバいんじゃないかと思いながら、助手席に乗り込む僕。
行き先を告げ、タクシーが走り出す。早送りの映画に無理やり登場させられた気分で、思考が追いついていない。
そうこうしているうちに、事務所らしき場所に到着。看板のない、一階建てコンクリート造の灰色の陰気な建物。
2人がずかずかと入っていく。奥の壁には、歴代組長の写真らしきものが飾られていた。
番頭さんが先に口を開く。
「ところで、あんたうちの福田とは面識はあるのかね」
『ある』
(えっ、あるんかーい)
「この写真のどれが福田かね」
『これだろ』と、一枚の写真を指差す。
「嘘じゃないみたいだな」
そこへ、相撲取りかラグビー選手みたいなガタイのいい若い衆が2人入って来る。
気づくと、一条さんと番頭さんの話がヒートアップして、ただならぬ険悪な雰囲気になってる。
一応、脱出経路は確認しておこう、と思って、入ってきたドアを確認すると、開けっぱなしになっていた。
そうこうしているうちに、一条さんと番頭さんの口論に若い衆が加わる。
「おめえは、さっきから何わけわかんねぇこと、ごちゃごちゃ言ってやがんだ!」
(ヤバいヤバい、いや、俺関係ないし!誰か助けてー!)
と、その時である。ふと、その場のヤクザとヤクザに負けず劣らずヤクザみたいや一条さんのの口論を目の前にしながら、(なんかこの喧嘩を警察に通報されたりして、後で事情聴取とかなっても面倒だな)という思いが、ふと湧いて来た。
そして、後ろを振り返り、開いていたドア(そして、唯一の脱出経路)を、自ら音もなく静かに閉めた。ガチャ。
その瞬間、怒号の鳴り響いていた事務所が静まりかえり、室内にいた全員が僕を見つめる。
(???)
最初に口を開いたのは、番頭さんだった。
「お兄さん、あんた警察の人?」
僕は、訳も分からず、『いやいや、違います』と返すのがやっとだった。
後で、一条さんから聞いた話だが、ヤクザの事務所に一般人が入った時には、ドアを開けっ放しにしておかないと軟禁罪か何かで暴対法に引っかかるらしい。
その開けっ放しにしてあったドアを、そこにいた、どう見てもカタギの兄ちゃんの僕が、自ら閉めたのである。あちらさんからしたら、気持ちが悪かったのだろう。
番頭さんもそろそろ、こいつら返した方がいいと思ったらしく、
「一条さんね、私にも立場ってものがありますからね。事実関係ってのは、もうちょっと、ちゃんと調べて来てもらわないと」と告げ、
一条さんもこれ以上埒が開かないと踏んだ様で、
『分かった。調べてまた来る』
と言って、2人で事務所を出た。
命拾いした、と安堵の気持ちでいっぱいだったが、同時に、この人とこれ以上一緒にいると、命がいくらあっても足りないなと思ったので、後日、仕事の手伝いを降りることを一条さんに告げた。
▼一条さんと行動していた頃の僕。
さて、ここまでが、一条さんという人と過ごした約3週間ばかりの出来事だが、ここで、もう一人、この頃の僕の人生において、多大な影響を与えた登場人物がいる。
一条さんが頼りにしていたもう一人の顧問、陰陽師氏である。
彼は、人前に顔を出したり、本名を出すのを嫌うので、陰陽師氏と呼ぶことにする。
陰陽師氏は、当時、某皇族系財団法人で働いていた。この財団の代表も、皇族を担いで財団法人を運営している、とんでもなオヤジだったが、一条さんがどう繋がったのかは知らない。
で、ある日、(確か)超伝導水で育てた霊芝のセールス展開について相談しに、この財団法人の代表を訪ねて行った。
その時は、陰陽師氏と会うこともなく、ただ代表に霊芝を溶かした水の入ったペットボトルを渡して、(その代表、何故か目の前で飲み干した)特に有益な話もなく、すごすごと帰った。
後日(ヤクザの事務所訪問前だったと思う)、陰陽師氏と帝国ホテルのラウンジで会った。
一条さんが、怪物先生に頼まれた例の国庫の件で呼んだらしい。
僕は、一条さんに頼まれた通り、宮内庁の幹部のリストをプリントアウトして持って行った。
一条さんは、僕を陰陽師氏に紹介する際、『こいつ(僕のこと)が、昔仕えたボスは鹿児島のドンみたいな人でね。ほら、あの朝鮮総連の本部の問題の時に名乗りをあげた坊さんいたでしょ。あの人の寺の総代をやってた人』
まあ、当たらずとも遠からずか、と思って聞いていたが、しばらく考え込む様に黙っていた陰陽師氏が、「あ、それで繋がった。北朝鮮は、薩摩の海軍利権ですもんね」と言った。
(ん、なんですか、それ?そんな話はボスの所にいた時は、聞いたこともなかったぞ)
で、一通り挨拶と世間話をした後、本題の犯人探しに入る。
「ちょっと見慣れないだろうことをしますけど、驚かないでくださいね」と言った後、僕が手渡した宮内庁幹部リストの上に手をかざしながら、うーん唸りながら、手を動かし始めた。そして、何人かの名前に印を付けた。
(???、コックリさん?)
どうやら霊視というらしかった。もちろん必ず当たるというほどの正確なものではないと言っていた(後日聞いた一条さんの話によると、全然当たってなかったらしい)。
僕は、自分が体験して納得しないものは信じないたちなので、霊視とやらは、ふーんという感じだったが、先の”薩摩海軍利権”という言葉を聞いて、この陰陽師氏に興味を持った。
すると、一条さんが、『ちょっと電話をかけてくる』と言って、席を離れて行く。テーブルには、僕と陰陽師氏の2人きりになった。
せっかくだから、一条さんがいないうちに、いろいろ聞いてみようと思い、まず超伝導のことについて聞いてみた。
『一条さんによると、超伝導ってUFOで使ってる技術らしいですね』
「そうですよ。UFOなんて伊豆の方にいくらでも飛んでますし、大田区の地下に工場がありますよ」
(….そうなんだ)
なんか他にも質問したはずなんだけど、何故だか今は思い出せない。
ただ、僕の知らない面白い情報を持った人だな、という印象を受けた。
そして、一条さんの怒涛の3週間が終わると、またAmazon倉庫に戻ってバイト生活を始まめた。この時、夜勤から日勤に変わったが、年末の繁忙期に知り合いの華僑がやってる居酒屋のホールを手伝うことになり、翌年3月くらいまでの半年間、居酒屋でバイトした。
一応、オーナーの知り合いということで入っていたので、バイト代は安かったが社員は気を遣ってくれた。時給1,000円と安かったが、それなりに一生懸命やった。まあ、僕の場合、一生懸命仕事がしたいというより、分からないことがあったりして、お客さんからクレームとか受けると、それがすごくストレスになるので、ストレスが溜まらない様に、仕事は1ヶ月でほぼ全て覚えた。
居酒屋のホールで働いて、ある日、あることに気付いた。
『あ、これ兵站じゃん』
僕の目の前(店内)には、戦場が広がっていた。
兵站とは、最前線で戦う兵士から後方の支援部隊までを含めた物資の流れとでも言おうか。
それを、準軍事産業と言われる物流業ではなく、居酒屋のホール仕事の中に見出したのである。
ちなみに、物流を英語にすると、logistics。それを、もう一度日本語訳すると、物流の前に兵站という言葉が出てくる。そして、logisticsの語源のlogisticoというラテン語の意味は、計算する者。
つまり、物流=兵站とは、いかに能率良く効率良く物資を移動させるかというゲームなんですよ。その元々の目的は戦争。他所の土地を侵略すること。
この兵站のイメージを居酒屋(を含む飲食業)に当てはまるとこんな感じ。
まず、テーブルについたお客様が最前線の兵士。お客さまの注文が、武器弾薬燃料などの物資を輸送してくれという要望、
例えば、「すいませーん、生一杯(ください)」は、戦場の兵士の「amo!(弾薬よこせ!)」である。
だから、兵站部隊(調理場やホールのスタッフ)がもたもたしていると、最前線の兵士は死んでしまうのである(お客さんが怒って帰っちゃうってことね)。
つまり、ホールスタッフの仕事の要諦は、最前線の兵士たるお客さまの注文にいかに迅速に答えるか。
そこで、ホールスタッフとして僕が心がけたのは、絶対に冷えた生ビールのジョッキとお通しを切らさないこと。入店後の最初の対応が一番大事だからである。だから暇な日なら、生ビール一杯だけなら、お客さんが注文してから15秒くらいで出した。
また、皿洗いにも力を入れた。長年飲食をやってる人間は、皿洗いを極力後回しにする傾向があるが、これは間違いだと思う。何故なら、注文を受けた時に、飲料を入れるコップ類、食べ物を盛り付ける皿が無ければ、お客さまには届けられない。言うならば、器とは、戦場で言うところのVeichle(輸送手段)である。物資がすぐに届けられなければ、それは前線の兵士のダメージを意味するのだ(笑)
まあ、僕の様な、脳みそまで軍人みたいな人間だから、こういう発想になるのかもしれないが、資本主義、効率主義が行き着く先は、兵站だと思う。それが証拠に、戦略会議だの企業戦士だの、シェア争いだのという言葉がビジネスシーンでは日常的に使われている。
では、兵站から外れた商売とは何かというと、お客の要望に無理して答えないマイペース営業、そして、その先にあるのは、自給自足生活だと思う。
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