◉2022年:47歳
札幌市内の短期バイトを終え、次は沖縄に行こうか、どうしようかと迷い、一旦、埼玉の実家に戻ることに。
実家では、ワクチンを打つ、打たないで一騒動起きていた。
絶対に打つなと、両親に懇願するが、父親は、打たないと友人と会えないからと、頑として僕の意見を受け入れない。
仕方なくこちらも譲歩し、『まだ治験中だし、一旦先送りして、大丈夫そうだったら打てばいいじゃん』。
もちろん大丈夫なわけないのだが、しばらく時間稼ぎができる。
母親はもともと医者に頼りたくない考えの人なので、なんとか翻意させることに成功。
しかし、父親は、昔僕が厚生労働省医政局長に聞いた話をしても聞く耳を持たず、『俺はもう80歳を超えているし、十分生きたから、最後くらい好きな様にさせてくれ』と言われた。
かくなる上は最終手段だと思い、ワクチンってのはウィルスを身体に入れるということだから、打たない僕や母まで被害が出る可能性があるのだから、打つ打たないは親父の自由だが、打った後何かあっても面倒は見ないし、母との別居も覚悟してくれよ、と脅した。
また、同じ様に打ってなかった姉や妹からも、父を説得する様に頼んだ。
一連の不毛なやり取りに、こちらも精神が困憊してしまい、車で近くの皿洗いのバイトに行っては、バイト代で外で酒を飲みながら夕食を食べ、家ではなるべく親父と顔を合わせない様にした。
結局、親父は、家族に味方が一人もいないことから、諦めて、様子見することになった。
埼玉の様な波動の重そうな土地からは一刻も早く抜け出したい。せっかく軽い波動の土地を渡り歩いて来たのに、ここで長居すると、抜け出すのに、また大きなエネルギーが必要となる。
すぐに沖縄に向かおうと、住み込みで働ける農業の仕事をネットで探すが、早いものでも、3月中旬以降のタバコ農家の仕事だけだった。
津堅島に一軒、ニンジン農家があったが、現場担当者が22歳で、歳上の人が部下だとやり難いだろうからという理由で断られたりもした。
仕方なく、伊計島のタバコ農家さんに掛け合って、3月半ばから働くことになった。
2月になり、飲食店は閑散期。皿洗いのスポットバイトの募集も無くなった。かと言って、マスクして倉庫や工場で働く気もなかった。
2月は毎日、家から駅前のタバコ屋まで歩き、一服して家に帰る。日々の外出時間はそれだけだった。やさぐれてたね(笑)
この頃は、とにかく暇で、図書館へ行っては、本を借りていたのだけれど、発酵食品に興味があって、微生物だとか、麹だとか、パン作りの本とかを読んでいた。
その中で、たまたま本屋で見つけ、図書館で借りた『菌の声を聴け』は特に面白くて、沖縄に行く道中、鳥取県にあるこのパン屋に寄ろうと計画を立てた(本には智頭町は雪深いと書いてあったので、移住する気はなかったが)。
3月暖かくなって、少し気持ちも上向きになったが、一方で、これほど沖縄行きを切望しながら行けないのは、今がタイミングではないのではないか、そう思う様になった。
沖縄の伊計島で働くことは決まっていたが、旅費もないし、タバコ農家さんにお断りの電話を入れた。
そして、実家の周辺で農業のバイトを探した。農業系のバイトはあるにはあるのだが、どれも敢行農法の農家の手伝いだった。
やりたいのは、そういうんじゃないんだよなぁ。もっと、有機農業とかないのかな。と思って探していたら、有機野菜という文字が目に入った。そこは、農家ではなく、有機野菜を扱う物流会社だった。
倉庫仕事もなぁ、と思ったが、ちょっと気になって求人内容を読んでみると、パート・アルバイトは、有機野菜が貰えると書いてある。なんかちょっとお得感あるな、と思い、会社について調べると、農家と直接契約し生協に卸す卸業を営む傍らで、地元で有名な地ビールを作っている会社だった。
なんでも、取引のある農家さんから、規格外で大量に廃棄していたサツマイモを有効利用できないだろうかと相談を受け、サツマイモを原料とした地ビールを完成させたのだとか。これは、なかなか面白そうな会社だぞ、と思い、求人に応募することに。
面接を受けに行き、倉庫業での経験が長いことと、現場に男性が少なかったこともあり、即採用された。
仕事は、仕入れた野菜や果物の選果から始まり、計量、梱包・発送という仕事。この道、何十年というベテランパートの多い職場なので、スピードについていけないとか、人間関係に悩む人もいたが、僕は体力的にもっと辛い工場のライン作業もしたし、怒号の飛び交う軍隊式の倉庫で働いた経験もあったし、何より期限の決まっていたバイトだったから気楽なものだった。
良い筋トレにもなったし、週に3回は大量の野菜を貰えたので、家計の足しにもなった。まあ、一生そこで働けと言われたらやだ(正社員にならないかと声もかけられたけど丁重にお断りした)けど、それほど悪くない職場だった。3月下旬から仕事は始まり、4月末までの契約だったが、人手不足もあり、結局5月20日頃まで働いた。
そして、2か月働いた給料をもとに、再び、移住地探しの旅に出ることに。
北海道はとにかく土地が広くて安かったのだが、いかんせん、完全自給自足を目指していると言っても、こちとら田舎暮らしはまるで素人である。とても、雪国の長く過酷な冬を乗り切る自信がない。
やはり、移住するなら暖かいところだな、と考えた。淡路島、愛媛、宮崎、そして、本命の沖縄。
そして、5月末、再び、移住地探しの旅に出発した。
途中、静岡にいる友人と会い、名古屋にいる友人宅にも寄ったが、その後は、真っ直ぐ淡路島を目指した。
噂には聞いていたが、明石から淡路島へと続く橋を渡たりながら、『あー、ここ波動軽いなー』と思った。
僕は人の感想は、あまり間に受けない性格なのだが(笑)、沖縄の地に生まれて初めて立った時の様な高揚感が内側から湧いてくるのを感じた。
そして、6/7に淡路島に入り、反時計回りに島を一周。目指すは、ミAアが計画中だったじょうもんの麓のある洲本市。途中、洲本市内西部の地元スーパーで、お店の人と話ながら『淡路島に移住を考えてるんだよねぇ』、なんて話をしたら、レジのおばちゃんが、お店にいるお客さんに次々と声をかけ始めて、『このお兄さん、淡路島で農業やりたいって言ってるんだけど、誰か知らない?いい土地ない?住める家ない?』と頼んでもないのに聞いてくれた(笑)
ちなみに、このお店のおばあちゃんに、パ◯ナのことを聞いたら、『ああ、あいつら、こっちの方まで攻めてきようとしとる』みたいなことを言ってた(笑)まあ、地元にもいろんな人がいるから、地域経済が活性するからと、歓迎してる人もいるんだろうけどね。
結局、島を一周してから、また来ますとだけ告げて、その店を後にしたが、もし、あのまま留まったら、淡路島の住人になってたかも。
鳴門海峡の見える一番南の道の駅で一泊車中泊をし、翌日6/8に洲本市に入る。洲本市には、結局6/10までいて、浜辺の無料駐車場で車中泊させてもらった。
ビーチも町もゆるい感じで良かったのだが、肝心の田舎をあまり回らなかったので、移住のイメージは、あまり湧かなかった。なぜ、6/10までしかいなかったかと言うと、出発前に読んだ『菌の声を聴け』の著者、渡邉格さんの講演(無料)が、兵庫県西脇市であったから。
いずれ、彼の経営するパン屋には行きたいと思っていたのだが、お店を訪ねて行っても忙しくて会えないかもしれないし、講演会なら少しお話する時間を持てるかもしれないと思った。
そして、講演のある6/11の前日に淡路島を出て、西脇市にほど近い道の駅で車中泊した。
翌日、講演会場へ車で向かった。個人経営のこじんまりとしたカフェかなんかだと思ってたら、駐車場には数十台の車が泊まっており、ナンバープレートを見ると結構遠方からも来ていた。そして、全体的に車のグレードが高い。
それもそのはず、この講演会を企画したのが、tamaki niimeさんという斬新なデザインで西脇市の播州織を広めたデザイナーさんの工房だったからだ。
結構広めの大広間に超満員の参加者。講演者の格さんに顔を覚えて貰おうと、講演後に質問しようと思ってたけど、これだけの人前で話すの、久しぶりで緊張するなーって、講演前から緊張してた(笑)
そして講演が始まる。彼の書いた本を2冊読んでたから、話の内容はおおよそ把握したたけど、改めて聴いて、共感できることが多かったし、いたるさんの、その温和な人柄にも惹かれた。そして、意を決して、講演後に質問した。緊張で声が震えてたけど、なんとか質問をし終え、質疑応答が終わってから、本人に挨拶しに行った。
僕が、埼玉から来ていたこと、移住地を探していることなどは、質問の際に言ってあったので、単刀直入に、もっと色々とお話をお聞きしたいのですが、鳥取のパン屋さんの方には戻られますか?と聞くと、来週から東京でまた講演会があるので、明日(日)と明後日(月)ならいますよ、と言われた。
善は急げだと思い、講演後、鳥取県の智頭町を目指して出発した。そして、一番近い、岡山県西粟倉町の道の駅に車中泊した。
翌日、タルマーリーというお店を訪ねて行くと、イタルさんはいなかった。奥さんが応対してくれたが、居場所が分からないという、ちょっとそっけない対応。
あれ、おかしいな。昨日会った時には、今日、明日はいるって話だったけど。なんか違和感を感じたのだが、不在と言われてしまっては仕方がない。食事をして、タルマーリーを後にする。
翌日は、2号店に行ってみたが、結局会えなかった。この後、7月の終わりまでの約1か月半の間、狭い智頭町にいながら、渡邉氏には一度も会うことがなかった。まあ、彼とは縁がなかったと諦めることにした。
しかし、智頭町とは縁を感じた。いや、もっというと、僕の一方的な一目惚れ状態である。
とにかく、会う人、会う人、いい人ばかりだった。たくさんの人に親切にしてもらった。そして、いつしか、暖かい土地を探していたことを忘れ、(冬は雪深い)この町に移住しようと決めていた。
町役場の移住促進担当の方々には、特にお世話になった。いろいろな物件を案内してもらったり、仕事のことなども親身に相談に乗って頂いたりした。
ここに集まる人達からも、いろいろと情報を得た。特にここで配られている智頭町カフェマップは役に立った。何故なら、カフェは、移住してきた人や地元の人達が集う場所だったからだ。
そして、あるカフェと運命的な出会いをする。というのも、週に一回しか営業してないカフェなのである。
たまたま僕が、近くを通って、ふらっと寄ったら週に一度の営業日であいていた。
なんというのかな、あの時感じたことは、上手く言葉にできない。
なんというか、土地のエネルギーの軽い智頭の中でも、特に高いと感じる店だった。
お店にいた常連さん(移住者)の何気ない会話を聞きながら、席でボーッとしてたら、突然目の前に繰り広げられていた空間が、のんびりとした幸せな日本映画を観させられている様な、そんな感覚を覚えた。
この時感じた感覚が、智頭に移住したいと思う決め手となった。
それから、ずっとゆるみっ放しだったら、いろいろなことも、もっとスムーズに運んだのかもしれないが、移住センターに登録して、大家さんと契約まで交わしたのに、最後の所で地元集落の一部の声のデカい人達によって反対されたり、こちらは、物件は気に入って、ボットン便所で良かったのに、下水道接続が条件で入居まで数ヶ月かかると言われたり、なかなか上手くことが運ばなかった。
お金に余裕があれば、問題なかったのかもしれない。しかし、自分の現実は自分で創っていると考えると、まだ、この土地で落ち着きたくはないのかな?、自分の本心もよく分からず、いつかまた戻って来ようと決め、とりあえず智頭を後にする。
まあ、細かい話はいろいろもあるのだが、長くなるので、智頭の話はここまで。
あ、そういえば、こんな有名人とも、偶然、智頭でお会いした(笑)

8月頭に埼玉の実家に戻ってしばらくは、秩父の三峰神社など、地元の神社を巡ったり、荒川上流で川遊びをしたりした。
10月には、固定費をゼロにする為、2年間旅と寝食を共にした車を手放し、さらにスマホも解約した。一度旅にきりをつけようと思い、グーグルのアカウント以外、SNSは全て閉鎖した。
しばらくはネットを使うのもやめようと思い、図書館で本を借りに行くことにした。しかし、そこで借りたのは、まさかの村上春樹小説(笑)なんか、学生時代に読んでいたのが急に懐かしくなって、結局、長編小説全冊と、中編、短編、エッセイ集など30冊くらいは読んだと思う(小説は暗い重たい物語が多かったけどね)。
村上春樹さんは、ジャズに対する造詣の深い方で、ジャズを題材とした本も書かれていたので、ジャズ関連の本も探してきて結構読んだ。
図書館によっては、レコードを聴ける図書館もあったので、ジャズに関する本を読みながら、ジャズのレコードをよく聴いた。
ジャズは大学の頃から好きな音楽ジャンルの一つだったが、あまり演奏者を意識して聴いたとこはなかった。
ルイ・アームストロングだの、マイルス・デイビスだの、チャーリー・パーカーといった名前は知っていたけど、それ以外はほとんど知らなかったが、村上春樹さんのジャズ本には、その生き様が魅力的なジャズメンがたくさん紹介されていたので、結構名前を覚えたな。
僕のお気に入りは、天才セロニアス・モンク、あと、アート・ブレイキー&ジャスメッセンジャーズ、女性シンガーなら、カーメン・マクレエ。日本人なら、秋吉敏子さんと大西順子さん。
スマホを手放した理由は、固定費削減以外にもう一つあって、テレパシーとかテレポーテーションしようと本気で思ったら、電子機器に頼ってる間は無理だな、と思ったから。で、一度、手放してデジタルデトックスしてみようと思った。
しかし、淡路島とか智頭とか軽い土地を巡ってきた後、埼玉の都市部は、とても重く感じた(自衛隊機が毎日うるせえし)のか、酒浸り生活に入る(笑)
1ヶ月くらいは、毎日ワイン一本空けてたなぁ(笑)それに飽きると、焼酎飲み始めて、最後はウイスキー飲んで(笑)酒のツマミにと、ワインを飲んでた時には、長いこと食べてなかった生ハムやらチーズをたらふく食べ、普通にコンビニでツマミとなりそうな、惣菜パンやら菓子類を買って食べてた。
北海道の富良野や沖縄でも感じたことなんだけど、やっぱり軽い土地って、お酒飲んでも回復早く感じたんだけど、実家のある場所は、周りほぼコンクリートに覆われてるからか、暴飲した分は排泄されずに全て蓄積されたいたようで(汗)
また冬になるにつれ、極端に寒い日とか、大雪とかやってくるんだろうなぁ、と思い、いつも以上に気合が入り、車を手放した後は、電車やバスを乗り継ぎ、バックパックに菌ちゃんウォーターを5リットル背負い、長い日は、朝から10時間以上歩きながら神社巡りをした。
そういう無理が祟ったのか、年末にギックリ腰になる。
パン屋で食べたチキンバーガーを食べた直後に胃のムカつきを感じ、あれよあれよと気持ち悪くなると同時に、腰に違和感を覚える。
そして、2,3日も経たぬ間に、ギックリ腰になり、ベッドで寝返りを打つのも、立ち上がるのも、着替えるのも困難になる。
まあ、自分なりに原因は分かっていたので、まず酒、製糖類を使った菓子類、肉魚卵乳製品を断ち、コーヒーもやめた。
毒か異物か、はたまた邪気なのか分からないが、とにかく身体中から出し切らないといけないと思い、食事は両親にも協力してもらい、毎晩豆腐鍋、翌朝はフルーツのみ、昼は鍋の残りにご飯を入れておじや。一日に何倍も白湯を飲んだ。
しばらくして、腰の痛みが回復してきたが、同時に花粉症の様に鼻水や涙がとめどなく出て、次に咳や痰、しまいには熱まで出たので、『あー、これはもう身体が完全にオーバーホール・モードに入ったな』と諦めた。
続く(たぶん)

“🔲生い立ち 47歳 2022年” への1件のコメント
なるほどー。
鳥取はそんないきさつだったのですね (^-^)
わたしも「ここ♡」という地と
出逢えるのをたのしみにしています♪
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