人間は生まれるとき、両親の魂に御伺いを立てるそうだ。あなたの子どもとして生まれても良いですか、と。そして、両親の(魂)の同意を得て、この世界に誕生することになる。
僕は、この考え方(真実かどうかは確かめようがないので知らない)が好きで、何故なら、生まれた時から自分で全て選択しているのだと思えるから。
そして、自分がこの星、この国に誕生したのは、自らの意志であり、両親を含めた親族、先祖も選んで来たんだろうなと思う。
では、なぜ、この両親、家族だったのか。そこを探れば、自分が今世で体験したかったこともわかるのではないか、そう思い、遡れる範囲の先祖まで遡って考えてみたい。
まだ生存中の人のことは書けない(書きたくない)ので、とりあえず亡くなった両祖父母のことだけ、分かる範囲で記しておく。
▼父方の祖父
三井物産にいた。最終的に代表取締役常務。三井物産では木材部に在籍し、退社後も日本輸入木材協会の会長を90歳まで務めた為か、輸入木材の業界では『天皇』と言われていたとかいないとか。

本当は、横浜正金銀行に入りたかったらしいのだが、先に三井物産の内定が出てしまったので、三井物産に決めたらしい。
入社後は本店営業部へ(化学品の部署)。その後、木材部へ配属されたが、配属当時は「なぜ俺が木材部なんかに」と、やる気が無かったらしい。しかし、取引先の木材問屋の社長さんに北海道の雄大な大自然を見せられ感動し、本腰入れて仕事に打ち込む様になったとか。
当初は、日本産木材の輸出にやりがいを感じていたらしいが、時代は変わり、外国産の安い輸入木材を日本の材木市場が流れ込み、日本の林業や材木市場が低迷してからは、忸怩たる思いがあったらしい。
戦時中は、シアトル(?)の日本人強制収容キャンプに入れられていた(私の父はそのキャンプで生また)。
昭和14年 三井物産木材部 シアトル 係長
昭和16年 シアトルで抑留(日米開戦)
昭和17年 スウェーデン船で帰国(NY~南米リオ~アフリカ東海岸~インド洋~シンガポール~横浜港)
昭和19年 三井物産木材部の木古内工場(北海道)へ転勤
昭和20年 38歳の時、赤紙を受け取る。北海道→青森→松戸→広島と移動し、熊本で終戦を迎える。戦地は経験していない(戦争が長引けば、熊本→鹿児島→沖縄の戦地へと向かわされた可能性あり?)
・昭和50.9.28に松村介石門下生、足道会の会報誌第8号に寄稿(タイトル:交換船友の会)。日米開戦直後にMPが来て、外交官、新聞記者、学者、商社マン、銀行マンなどと共に貨物列車で移送される。
・昭和17年、スウェーデン船が NYを出港。南米リオで捕虜となっていた邦人を拾い、アフリカ東海岸のローレンスマルク港?で、米人捕虜を乗せた浅間丸(あさままる)と捕虜交換後、インド洋~シンガポールを経由し、横浜港へ。帰国。
郡司章 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A1%E5%8F%B8%E7%AB%A0
郡司という苗字が多い都道府県は、栃木県、茨城県、福島県、千葉県、そして、何故か飛び地で九州の宮崎県と鹿児島県。
郡を司るだから、全国津々浦々にあっても良さそうだが、何故かまとまった地域に集中している。
余談だが、ひふみ神示で有名となった千葉県の麻賀多神社の宮司は郡司幹雄さんで、明治時代に宮司を務めたのは郡司秀綱。
父方の祖父(郡司章)は、栃木県那須郡湯津上村大字佐良土42番地出世(現大田原市。父 郡司孝太郎 届出)。その後、家族と共に東京都北区赤羽に移住(湯津上村の隣は旧黒羽町。羽の付く土地に縁あり?)
祖父は、松村介石の話を聞きに、祖母は友達に誘われて、渋谷の鍋島藩の土地(松濤にあった鍋島直映侯爵の斡旋を受けて東京渋谷神山に土地を購入し、道会本部事務所を新築、移転)に建てられた松村介石の教会で出会う(そういえば、鹿児島の藩校サミットで、佐賀鍋島藩伊東家のお姫さまとお会いしたことがある。何かのご縁かな?)
祖父の葬儀は、上野寛永寺で執り行われたが、郡司の家の菩提寺は、栃木県大田原市にいる天狗で有名な天台宗光丸山法輪寺で、もともと天台宗の信徒だったところに、祖母の父で仏教書店を営んでいた森江英二の紹介で、上野の東叡山寛永寺さんとのお付き合いが始まったとか。墓は多摩墓地(都営) 。
天狗が気になって、『栃木県 神社 天狗』で検索したら、日光二荒山からわりと近くに、古峯神社なる神社もある。
御祭神は、日本武尊、倭建命(やまとたけるのみこと)。何故か、御由緒に『隼人』の文字..。こんなところで、まさか薩摩と繋がる⁉️
▼父方の祖母 郡司英代
私の曾祖父(父方の祖母のお父さん)の森江英二は、坂根家から森江家へ養子に入り、森江書店という仏教書店を継ぐ。 サンスクリット語を理解したそうで、比叡山や高野山の高僧はじめ、上京してきた僧侶と交流があったとか。
森江家は若狭、坂根家は京都(堀川天皇陵長や明治天皇の近侍がいた)。







郡司の家は、代々天台宗の信徒なので、その御縁で、私も昔は、上野寛永寺の本堂で止観会を開いて頂いたり、また、比叡山天台宗ニューヨーク寺院落慶式ツアーに参加したりと、交流があった。
▼森江英二 と森江書店
http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20100531
坂根家の苗字 は、島根県にも多い。
そういえば、私の生まれる前に、郡司家三男の父に男の子が恵まれなかったので、父方の祖母(郡司英代)が、出流山に石を拾いに行ったと話に聞いたことがあるが、何だったのだろう。
▼母方の祖父、牧野直隆。鹿児島出身。直隆の隆は、西郷隆盛の隆。
先祖は、西南戦争で西郷隆盛の下で戦ったが、「おまえは若いので帰れ」と言われ、帰らされたと、祖父から聞いた。
直隆の父(私の曽祖父)は、もともと中西姓だったが、牧野家の養子に入った大久保利通の弟(牧野伸顕)の家?に養子に入り、後に上京し、今の虎ノ門界隈で古物商(南洲堂。現在は広尾にある)を営む。
祖父、牧野直隆は、高校野球連盟会長を11期21年務める(ちなみに、大久保利通の息子の牧野伸顕は、日本に野球を広めた一人)。

高野連の仕事はボランティアだが、実業では、慶応大学卒業後、鐘紡に入社し、20代後半には上海工場長に(その後、静岡、西大寺、防府各工場長を歴任して36年鐘紡取締役)。
私は、旧東海銀行にコネ入社したが、私が初めて会った東海銀行員は、当時の西垣カリスマ頭取と、高野連の貴賓室でカレーを食べながら。高野連のメインバンクが、なぜか東海銀行(本社:名古屋)だった。
祖父は、戦時中は中野にいたらしい、と40歳を過ぎてから両親に聞かされた。
といっても、祖父の自伝によれば、中野学校ではなく、中野電信隊に教育入隊している(ちなみに中野学校があったのは、中野電信隊跡地)
おそらくシギントの基礎訓練は受けているだろう。戦時中どこで何をしていたのかは知らないが、部隊を指揮していたことは祖父から聞いた。


昭和7年:慶大野球部キャプテン(満州事変の年)
昭和8年:慶大野球部キャプテン(5・15事件、ロサンゼルス五輪)
昭和9年:慶大卒業、鐘紡入社(ベーブルース来日)
昭和10年:鐘紡野球部発足・監督就任、中野電信隊に教育入隊
昭和11年:鐘紡に復帰(読売巨人軍発足)
昭和12年:鐘紡寄宿舎の舎監として若者を戦地に送り出す(南京占領、中野学校設立)
昭和13年:上海へ転勤。日本軍に接収された上海一達漂染廠公司という染色工場の管理を鐘紡が軍から依頼され、その工場の工場長に就任(上海事変、国家総動員法)。
この染色工場の出資比率は日本7:中国3だったらしいが、当時の鐘紡社長の計らいで、利益は総て中国側に渡されていた、と、自伝には書かれている。当時の中国側の社長の子孫とは晩年まで交流があったとか。
祖父のお墓は、京都府京都市北区にある臨済宗天龍寺派の等持院(とうじいん)。足利氏の菩提寺であり、足利尊氏の墓所としても知られる。生前、天龍寺第8代管長と関牧翁老師と交流があった為❓と聞いているが、父方の先祖の大田原市周辺は、足利家の領地。不思議な縁。
▼母方の祖母
母方の祖母(牧野恵子)の母(富子)の父(小杉彦治。写真前列右端から2番目)は宮内省次官。朝鮮併合の折 伊藤博文(写真前列中央)と共に朝鮮京城総督府付、朝鮮王族子弟の教育担当者として学校設立教育局長。

彦治の父(小杉富三郎)は、日光町長で日光二荒山神社の権禰宜。彦治は長男で、小杉放庵は六男。
祖母(牧野恵子)の父方は、祖母から聞かされた話では、もともと九鬼だったが、苗字に『鬼』の字がつき、よくいじめられたので、当時、村の端の方に住んでいたところから、九鬼から村尾に変えたらしい。節分の日に『福は内、鬼も内』と言っていたとか。
九鬼は伊勢の海賊。江戸時代にお家騒動があり、幕府の命により兵庫県へ移された。だからか、明治維新では薩長側についた。
先祖の墓は、兵庫県三田市にある心月院。旧三田藩主 九鬼家の菩提寺だが、白洲次郎・正子が眠る墓所でもある。故に(?)薩長とも繋がる。
両爺さんも財界人としては、そこそこ頑張っていたと思うし、先祖には天皇に仕えた人もいたから、わりと支配者の目線というか、支配者の思考みたいなものは、備わっていたかもしれない。
しかし、管理されるのも管理するのも嫌いな生来の性格で、結局ピラミッド構造の社会に馴染めず、そこから離れることを目指すわけだから、ここまでの一連の流れは、生まれる前から全て折り込み済みだったと思う。この知識、経験、能力を今後どう活かしていくかだが、そこにフォーカスする必要も、もうないんだろうなと思っている。
ちなみに、この記事をまとめたのは、まだ知り合いの陰陽師氏らと神社巡りをしていた頃。当時は自分のルーツに興味があったし、神さまなるものの存在も信じていた。
今は無神論者。
古神道で言うところの八百万の神(万物に命は宿る)という意味での神は、まあ分からなくもないけど、上に立つ神という存在や神という言葉自体が、差別の温床になる(神に近い者が偉い。政治家とか官僚を「おかみ」というのも、同じ理屈)ので信じていない。
この世界に特別と崇められるべき存在はおらず、全ての存在が特別。という考え方の方がしっくりくる。
